UNDMESS.LIFE

オカルトを追い求めて旅する23歳の手記

無意識は棘。

とある広告代理店の方に言われたことが、ここにきてようやく分かった気がしました。

就活の頃に遡りますが、当時クリエイティブ系の仕事を受けてて、自作の自己PR資料を基に面接を進めていく企業もあった中で、自分なりに書き出して嘘は書きたくなかったから、キラキラしたものとは決して言えない内容でしたけど、自分の中では完成形に近いと言っても過言ではないほどいい資料だと思っていました。実際に面接で話は盛り上がり面接はパスできたものの、結果的にはあと一歩で落選し、その時に思い切ってどこがダメだったか聞いてみました。すると、返ってこないものだと勝手に思っていたのに、返信が返ってきてメールを開くと「もう少し深みのある人間を目指した方がいい」と書かれていました。

その時に深みとは何だろうかと考えましたが、結論を出すことができずにいました。しかし、この1年を通して言葉の意味に気が付いたのかもしれないと思うようになっています。当初、深みのある人間ってイメージ的に義理堅く優しくて人間として優れている深みだと認識していたこともあり、僕が薄情で短気でややこしい人間のように見られていたのかと思っていて、当然そんな人と一緒に働きたくないし落とす要因の一つとしては無理ないなと。

でも、それは間違った捉え方をしていたのかと気づきました。僕は無意識のうちに些細なことでも考えてしまう癖があるらしく、気付かずのうちに会話の流れを止めて困らせる瞬間があるらしいです。どうでもいいことにフォーカスして考えることが好きというのもあるけど、何故いまこの場所に来たのか、何故この場所を撮影したいのか、そんなことを考えているうちに気が付くと、会話の流れに置き去りにされることも少なくはないです。

でも、どうでもいいことだけでなく何かと物事に対して考えるということは日常茶飯事で、それが本に走ったり動画に走ったりと何かで回収しようとしているのかもしれません。しかし、自己PR資料の作成時にあまりにも断片的に自分のことを紹介し、会話でも盛り上がるのは盛り上がるが振り返ってみると具体性が無かったと思います。そして、振り返った時に深みってそういうことなのかとハッとしました。

変な話、まるで自己PR資料で全く自分が出せていなかったということになり、何でそれが好きなのか、そんなことも話せない人が自己PRなんて以ての外だと。確かにあの時、自分では話せていたつもりでも、冷静に考えると上っ面なことしか話していなかったです。

深みってそういうことなのかと思ったのと同時に、飲み屋で見ず知らずの人とたまに仲良くなって話すことがあって、その時に「ここのこれとこれが好きで、この部分も好きで。」と熱く語っていたら、お酒も入っているのもありましたがヤケに面白がってくれたことを思い出しました。

逆に、相手側がただ単に好きで理由も正直薄っぺらい内容だった場合、普通に興味がなくなるし面白いとはならないけど相槌くらいは打っとくかと思う瞬間があって、その相手側と同じことを僕は就活の時にやっちゃっていたのです。そう気が付いてからというものの、より一層考える癖を意識的に行うようにして、常に何事も疑問を持って過ごしていくようになっていきました。それはでも、しっかりと会話が成り立つようにというか突拍子もない感じはやめようと決めた瞬間でもありました。

それで少し時は経ち、つい先日大学生活も佳境に差し掛かり、友人とも今後は会えなくなるだろうと思っていた中で友人とご飯に行った。ここまで過ごしてきてどう思ってたかとお互いについて話すことになり、そこで「余計な一言が多い、変な質問が多い。」とダメ出しを食らう羽目に。割と腑に落ちたことを言われたあの時から、意識的に変わろうとしていましたけど、無意識のうちに変わらない自分が出ていたのだろうか。無意識というのは怖いものです。

それでも、「そういう性格なのは分かっていたから友人としていたのかもね、だから今後気をつけた方がいいよ。」と注意喚起を食らいました。そういうことを言い合える数少ない友人だから有難かったけど、人間って下手に変わろうとすると却って悲惨な結果を招くというか変わろうとすること自体ナンセンス。変わらなくてもいいとまでは言わないですが、背伸びせずに嫌だと思われていることは素直に受け止めていこうとも思います。反省です。

言っていること考えていることは変わっているのかもしれないけど、根本的な性格や人間性は変えようとしても何一つ変わらないので、それなら何事もバランスが大切かなとも感じ取った出来事でありました。