UNDMESS.LIFE

オカルトを追い求めて旅する23歳の手記

才能について唐突に思ったので

最近才能やセンスについて考えることが多くて、どうも書き残しておきたいと思い立った所存であります。まず才能は物事を巧みにこなす生まれつきの能力、センスは物事の微少な相違ですら感じ取る動きのことをそれぞれ指します。結構似ている言葉だと思っていても実は違ってくるんですね。その中で才能って言葉ほど誤魔化せて便利で滑稽な言葉はないなと自分の中で結論付きました。

 

タモリの名言「やる気のある者は去れ。」がここ最近でずっと頭に残っています。これは面白いことは物事の中心ではなく、周辺に転がってるっていう如何にもタモリらしい言葉です。要するに才能って結局物事の中心にしか存在し得ない言葉だと思うようになり、才能がある故に見失ってしまうこともあるのかなって。

でも、才能がある程度必要な現代に於いて、避けられない言葉でもあるとも思っています。少し脱線しますが、人間って必ず輝いて見える人に対して羨望感や嫉妬心を少しでも持っているとは思います。しかし、抱いたところで仕方のない問題でどうすることもできないのも事実。

例えば、分かりやすくお金持ちを嫉妬の対象とするならば、正直僕はお金持ちでも富裕層の家系でも何でもないただの一般日本国民ですけど、生まれながらにして富裕層って人も世の中にはいます。生まれながらにしてスタートラインが違うのは当然ですけど、そのスタートラインで先を越してることも、ある種一つの才能だとすら思っています。

これを踏まえて、少し綺麗事ですが個人的に才能は一人一個だと考えていて、僕は「生まれながらにしてお金持ち」という才能を使ったんだと思うようにしています。よく学校で多才な優等生がいるとは思います。その方々は紛れもなく努力の天才です。努力と時間は皆平等ですからね。

まあ何だかんだ言っても結果的には、おこがましいけど才能があるって思われることも今後一生ないだろうし思われたくないということで落ち着きました。

 

 一方でセンスは磨けば磨くほど輝くものだと思っていて何個でも身に付けることができます。

何年も生きていくにつれて自分の好きなことへ熱中する人もいれば何事も興味がなく流されていく人もいます。両極端ですが、どちらもそれでいいと思います。その人の視点が必ずあってそれは千差万別。でも、それがセンスに繋がっていき例え無駄に過ごしている瞬間も後々活きてくることもあります。

また、成長するにつれて目標へのハードルが昔と比べて高くなってくるのは現代人間の常で、高みを目指すのは否定しないが僕は正直どうでもいい。それよりも、今の自分に対してセンスを身に付けることに重点を置いて後先考えないようにしています。

例えば、「何歳まで生きる」みたいな大まかな目標だけ決めて、細々とした目標は決めずに日々を送っています。それでも、やりたいことリストは無数にあり日々消化していくような感じですね。 

この二つの言葉を自分なりに考察してみた結果、何事も期待し過ぎず冷めた感情でいることを心掛けるようになりました。

才能とセンスってある意味自分や他人に対して、ほんの少し期待を膨らませるようにする言葉でポジティブ志向にあります。それはそれで素晴らしいですけど、要点は期待し過ぎないこと、特に自分に対して。「私は今までこんだけの努力をしてきたからきっとできる。」や「あなたは才能があるからきっと大丈夫。」のような慢心こそ才能とセンスという言葉の落とし穴。

だから、予め期待せず少し冷めた感情で物事に入ると結構判別しやすくなるというか、冷めた感じで入ってそれでも興味を持ち続けているのであれば本当に面白いってことです。それはきっと今後も長く続けていけることなんだろうと思います。まあ、僕が飽きっぽい性格のためだからっていうこともありますけどね。