2020.02.13 -ESSAY

無意識は棘。

とある広告代理店の方に言われたことが、ここにきてようやく分かった気がした。

就活の頃に遡る。当時はクリエイティブ系の仕事を受けていて、自作の自己PR資料を基に面接を進めていく企業もあった。自分なりに書き出して嘘は書きたくなかったから、キラキラしたものとは決して言えない内容だが、自分の中では完成形に近いと言っても過言ではないほどいい資料だ出来たと思っていた。

実際に面接では盛り上がり、面接はパスできたものの、結果的にはあと一歩で落選し、その時に思い切ってどこがダメだったか聞いてみた。すると、返ってこないものだと勝手に思っていたのに、返信が返ってきたのである。メールを開くと、「もう少し深みのある人間を目指した方がいい。」と書かれていた。

その時に、深みとは何だろうかと考えたが、結論を出すことができずにいた。しかし、この1年を通して言葉の意味に気が付いたのかもしれない。

当初、深みのある人間ってイメージ的に義理堅く優しくて人間として優れている深みだと認識していたため、僕が薄情で短気でややこしい人間のように見られていたのかと思っていた。当然、そんな人と一緒に働きたくないし落とす要因の一つとしては無理ないと。

でも、それは間違った捉え方をしていたのかと気づいた。僕は無意識のうちに些細なことでも考えてしまう癖があるらしく、気付かずのうちに会話の流れを止めて困らせる瞬間があるらしい。どうでもいいことにフォーカスして考えることが好きで、何故いまこの場所に来たのか、何故この場所を撮影したいのか、そんなことを考えているうちに気が付くと、会話の流れに置き去りにされることも少なくはない。

でも、どうでもいいことだけでなく、何かと物事に対して考えるということは日常茶飯事のことで、それが本に走ったり動画に走ったりと、何かで回収しようとしているのかもしれない。しかし、自己PR資料の作成時にあまりにも断片的に自分のことを紹介し、会話でも盛り上がるが振り返ってみると具体性が無かった。そして、振り返った時に深みってそういうことなのかとハッとした。

変な話、まるで自己PR資料で全く自分が出せていなかった。何でそれが好きなのか、そんなことも話せない人が自己PRなんて以ての外だと。確かにあの時、自分では話せていたつもりでも、冷静に考えると上っ面なことしか話していなかった。

深みってそういうことなのかと思ったのと同時に、飲み屋で見ず知らずの人とたまに仲良くなって話すことがあって、その時に「ここのこれとこれが好きで、この部分も好きで。」と熱く語っていたら、お酒も入っているのもありましたがヤケに面白がってくれたことを思い出した。

逆に、相手側がただ単に好きで理由も正直薄っぺらい内容だった場合、普通に興味がなくなるし面白いとはならないけど、相槌くらいは打っとくかと思う瞬間がある。その相手側と同じことを、僕は就活の時にやっちゃっていたのである。そう気が付いてから、より一層考える癖を意識的に行うようにして、常に何事も疑問を持って過ごしていくようになっていった。それはでも、しっかりと会話が成り立つようにというか突拍子もない感じはやめようと決めた瞬間でもあった。

それで少し時は経ち、つい先日大学生活も佳境に差し掛かり、友人とも今後は会えなくなるだろうと思っていた中で友人とご飯に行った。ここまで過ごしてきてどう思ってたかと、お互いについて話すことになり、そこで「余計な一言が多い、変な質問が多い。」とダメ出しを食らう羽目に。

割と腑に落ちたことを言われたあの時から、意識的に変わろうとしていた。しかし、無意識のうちに変わらない自分が出ていたのだろうか。無意識というのは怖い。

それでも、「そういう性格なのは分かっていたから友人としていたのかもね、だから今後気をつけた方がいいよ。」と注意喚起を食らった。そういうことを言い合える数少ない友人だからありがたかったけど、下手に変わろうとすると却って悲惨な結果を招きそう。変わらなくてもいいとまでは言わないですが、背伸びせずに嫌だと思われていることは素直に受け止めていこうとも反省。

言っていること考えていることは変わっているのかもしれないけど、根本的な性格や人間性は変えようとしても何一つ変わらないので、それなら何事もバランスが大切かなとも感じ取った出来事だった。

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