2019.08.27 -ESSAY

才能について唐突に思ったので

最近、才能やセンスについて考えることが多い。才能ってそもそもどういう意味なのかというと、物事を巧みにこなす生まれつきの能力。逆に、センスは物事の微少な相違ですら感じ取る動きのことをそれぞれ指している。結構似ている言葉だと思っていても、実は微妙に違ってくるのである。その中で、才能って言葉ほど誤魔化せて便利で滑稽な言葉はない気がする。

タモリの名言「やる気のある者は去れ。」が、ここ最近ずっと頭に残っている。これは面白いことは物事の中心ではなく、周辺に転がってるっていう如何にもタモリらしい言葉である。要するに、才能って結局物事の中心にしか存在し得ない言葉で、才能がある故に見失ってしまうこともあるものかなって。

でも、才能がある程度必要な現代において、避けられない言葉でもあるとも思っている。少し脱線するが、人間って必ず輝いて見える人に対して、羨望感や嫉妬心を少しでも持っているものである。しかし、抱いたところで仕方のない問題で、どうすることもできないのも事実。

例えば、分かりやすくお金持ちを嫉妬の対象とするならば、正直僕はお金持ちでも富裕層の家系でも何でもないただの一般日本国民だが、生まれながらにして富裕層って人も世の中にはいる。生まれながらにしてスタートラインが違うのは当然だが、そのスタートラインで先を越してることも、ある種一つの才能だとすら思っている。

これを踏まえて、少し綺麗事だが才能は一人一個だと考えていて、僕は「生まれながらにしてお金持ち」という才能を使ったんだと思うようにしている。よく学校で多才な優等生がいるが、その方々は紛れもなく努力の天才。

何だかんだ言っても結果的には、才能があるって思われることも今後一生ないだろうし、思われたくないということで落ち着いた。

一方で、センスは磨けば磨くほど輝くものだと思っている。また、何十個でも身に付けることができると思う。

何年も生きていくにつれて、好きなことへ熱中する人もいれば何事も興味がなく流されていく人もいる。両極端だが、どちらもそれでいい気がする。その人の視点が必ずあって、それは千差万別だが、それがセンスに繋がっていくものである。例え無駄に過ごしている瞬間も、後々活きてくることもある。

また、成長するにつれて目標へのハードルが昔と比べて高くなってくるのは現代人の常で、高みを目指すのは否定しないが、僕は正直どうでもいい。それよりも、今の自分に対してセンスを身に付けることが大切。

例えば、「何歳まで生きる」みたいな大まかな目標だけ決めて、細々とした目標は決めずに日々を送っている。それでも、やりたいことリストは無数にあり日々消化していく。

この二つの言葉を自分なりに考察してみた結果、何事も期待し過ぎず冷めた感情でいることを心掛けるようになった。

才能とセンスって、ある意味自分や他人に対して、ほんの少し期待を膨らませるようにする言葉でポジティブ志向。それはそれで素晴らしいが、要点は期待し過ぎないこと。特に自分に対して。「私は今までこんだけの努力をしてきたからきっとできる。」や「あなたは才能があるからきっと大丈夫。」のような慢心こそ、才能とセンスという言葉の落とし穴。

だから、予め期待せず少し冷めた感情で物事に入ると、結構判別しやすくなるというか。冷めた感じで入って、それでも興味を持ち続けているのであれば本当に面白い。それはきっと、今後も長く続けていけることなんだろうと。

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